フィリピン英会話ネット
2009年06月30日

イレーサーヘッズ(Eraserheads:E-heads)

イレーサーヘッズ(Eraserheads:E-heads)はフィリピンですでに神格化されたポピュラー・ロック・バンドである。
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Ely Buendia: photo by jonasismo

1989年、当時フィリピン大学(UP)の学生だったエリー・ブエンディア(Ely Buendia:ボーカル、リズムギター)、レイモンド・マラシガン( Raimund Marasigan:ドラム)、ブディー・ザバラ( Buddy Zabala:ベース) そしてマルクス・アドロ(Marcus Adoro:リードギター)の4人で結成された。

E-headsは最初、大学やライブハウスで演奏していたが、瞬く間に学生の間で人気がでて、93年、ファーストアルバム「UltraElectroMagneticPop!」が大ヒット、フィリピンではそれまでにない30万枚という記録的な枚数を売り上げ、一気にフィリピンNo.1のスターダムへとのし上がった。収録曲「Pare Ko」には放送禁止用語も使われており、ラジオ放送が禁止されるなどの制限を受けたが、そのことが逆に話題にもなった。

E-headsは「フィリピンのビートルズ」とも称されるが、実際、曲調はビートルズの影響を強く受けている。「Fruit Cake」や「With a Smile」などはジョンレノンが生きていたなら作っていたんじゃないかと思われるような曲だ。E-headsの曲の多くはエリーにより作詞・作曲されており、その歌詞は言葉遊びとDouble Meaningが多用されたものだった。

E-headsのライブではTシャツにジーンズといったラフなスタイルで演奏することが多く、庶民にとっても遠くない存在だったのも特徴だ。そのため、CMソングに起用されるのもバーガー・マシーン(Burger Machine) やチーピー(Chippy)など、庶民的なものが多かった。ちなみにそのころ、ジョリビー(Jollibee)のCMには国民的二枚目俳優アガ・ムラックが、マクドナルドのCMには国民的女優シャロン・クネタがそれぞれ起用されていた。

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E-heads復活コンサート(MOA) photo by roxj

1997年には3rd アルバム「Cutterpillow」の収録曲Ang Huling El BinboがMTV Asia Viewer's Choice Awardを獲得。これはフィリピンのバンド初の受賞であり、快挙だった。

しかし、2002年、ボーカルのエリーが突然脱退。バンドは解体した。解散後はそれぞれのメンバーが別々にバンドを作り、または別バンドへ参加して音楽活動を続けている。2005年にはE-headsに影響を受けた、または尊敬するフィリピンの有名歌手、バンドによるE-headsのトリビュート・アルバム「Ultraelectromagneticjam!: The Music Of The Eraserheads」が作成されている。これに参加したのはキッチー・ナダル(Kitchie Nadal)、イマーゴ( Imago)、オレンジ・アンド・レモンズ( Orange and Lemons)、サウスボーダー( South Border)、ブラウンマン・リバイバル(Brownman Revival)、シュガーフリー(Sugarfree)、エムワイエムピー(MYMP)、スポンジ・コーラ(Sponge Cola)シックス・サイクル・マインド(6Cycle Mind)、フランシス・エム(Francis M.)、リコ・ジェー・プノ(Rico J. Puno)そしてラディカル・サゴ・プロジェクト(Radioactive Sago Project)など、第一線の人気バンドである。

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photo by charisseyorke

2008年8月、一夜限りのE-heads再結成コンサートがFort Bonifacioで開催されたものの、エリーが心臓発作で倒れ、途中で中止となった。そこで2009年には再び「最後の」再結成コンサートが開かれ、10万人のファンがモール・オブ・アジアの野外会場を埋めた。コンサートの終わりに、エリーはE-headsの象徴であり、5thアルバム「Sticker Happy」のジャケットにも使われたピアノにガソリンをかけて焼いてしまうという行動に出た。これで本当に最後という強い意思表示だったと言える。

E-headsはフィリピンのバンド文化およびOPM(Original Philipino Music)を変えた存在である。

MTV Award 受賞曲 Ang Huling El Bimbo


注:2009年にはマクドナルドのCM曲にE-headsの曲が採用された。これはE-headsが神格化された現れである。
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2009年06月26日

キッチー・ナダル(Kitchie Nadal)

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キッチーナダル photo from Wikipedia

キッチー・ナダル(Kitchie Nadal) である。

2004年に「Kitchie Nadal」という名のファースト・アルバムを発表し、爆発的にヒットした。アルバムの中には代表曲Same Ground、Blongのほか、数々の賞を受賞したHuwag Na Huwag Mong Sasabihinといった曲も含まれ、この一枚でKitchieの凄さが伝わる。

ほとんどの曲がKitchie本人による作詞・作曲である上、少しハスキーで印象的な歌いぶり。歌唱力は高い。

そんな、突然有名になったかの彼女だが、もともとはMojoflyというそれなりに有名なロックバンドのリード・ボーカルだった。Kitchieはフィリピンの名門私立大学デラサールで教育学と心理学の2つの学位を取得した才女でもあり、音楽活動は在学時代から平行して行っていた。

Kitchie Nadalの曲は歌詞が非常に練られており、フィリピンによくある「あなたが好きです、愛しています」みたいな単純なものではない。もちろん、ラブソングが中心なのだが、Kitchieの単語使い、言葉遣いの深さは比類するものがないレベルである。

2008年には待ちに待った彼女の2枚目のアルバム「Love Letter」が発売された。

Kitchie Nadal: Same Ground
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2009年06月22日

フィリピンの歌手 サラ・ヘロニモ (Sarah Geronimo)

サラ・ヘロニモ(Sarah Geronimo)20歳はフィリピンで最も歌の上手い歌手だろう。

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フィリピンの歌手 サラヘロニモ Photo by Onilad

サラ・ヘロニモは1992年、4歳の時に子役からスタートした。「Pen-pen de Sarapen」や「Ang TV」などABS-CBNの子供向け人気番組の出演者の中の一人であり、まだ歌手ではなかった。

そして2003年、フィリピンの国民的歌手レジーン・ベラスケス(Regine Velasquez)が司会を務める「Star For A Night」というオーディション番組にサラは一参加者として出場し、グランド・チャンピオンになった。これがサラ・ヘロニモ(Sarah Geronimo)の歌手としての本格的なスタートである。14歳の時だった。

その後はASAPへのレギュラー出演、ドラマへの主演など活動の幅を拡げ、サラは国民的歌手として定着するとともに、女優としての力も見せ付けた。また、親しみやすい丸顔、色白な容姿により、多くのテレビCMにも出演し人気を博している。

圧倒的な歌唱力はフィリピンの中で彼女の右に出るものがいないと思われるが、特に、代表曲「Forever is not enough」は見事だ。

サラ・ヘロニモ(Sarah Geronimo):Forever is not enough


現在も歌手としてASAPに歌のコーナーを持っているから、毎週日曜日にテレビで見ることができる。また、最近発表した新曲「Record Breaker」では清純派からのイメージチェンジが図られている。
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2009年06月20日

ミスコンテストでフィリピン勢が強い


ジェラミー・ディゾン(Geramie Dizon)19歳、がミスアジアUSA2009の栄冠を手にした。ジェラミーはボディ・ショット2006で2位に選ばれたこともあるアメリカのモデルである。

これでフィリピン出身でミスアジアUSAに選ばれたのは7人目となる。他の6人のフィリピン出身のミスアジアUSAはGemma Hipolito (1992)、Cheryl Nunes (1995)、 Jamie Santiago (1996)、 Karen Borja (1998)、Angelina Macaulay (2000) そしてFeilani Bennett (2001)である。

第21回ミスアジアUSAの決戦大会にはアジア13諸国出身の19人の参加者によって行われた。ミスアジアUSAはアメリカ国内のアジア出身女性を対象とした美人コンテストであり、4分の1以上のアジアまたは中東の血統を持っていることを条件としている。

また、5月3日に中国で開催された第一回インターナショナル・ビューティー・アンド・モデル・フェスティバル2009ではフィリピン代表のエイプリル・ラブ・ジョーダン(April Love Jordan)が43カ国の代表の中から一位に選ばれている。

エイプリルは3月に行われたミス・フィリピン2009(Binibining Philipinas 2009)でトップ10に残った出場者だった。
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2009年06月15日

アンジェリカ・パガニバン(Angelica Panganiban)

アンジェリカ・パガニバン(Angelica Panganiban)22歳は、人気急上昇中のセクシー路線アイドルである。

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アンジェリカパガニバン

とは言っても、アンジェリカの芸歴は長い。彼女はABS-CBN所属の子役出身であり、92年(6歳の時)から活躍している。それまで年齢相応に子役、年頃の少女役などを着実にこなしてきたなか、2006年、20歳の時に突然セクシー・グラビア雑誌FHMに水着姿を披露した。それからは立て続けで、2007年には毎年セクシー女優が採用されるギネブラ・ジン(Ginebra)のカレンダー・モデルを務めた。

そしてとうとう2008年、ABS-CBNは土曜日の夜に「Banana Split」という名のお色気コメディー番組を彼女、アンジェリカをメイン・ホストとしてスタートさせた。それまで、フィリピンのお色気番組の頂点にはGMAが金曜夜に放送する「Bubble Gang」という番組があり、レギュラー・ホストにはアラ・ミナ(Ara Mina)、ルファ・マエ・キント(Rufa Mae Quinto)といったセクシー・スターが10年にもわたり君臨してきたのだ。ここに、名実共に世代交代の完成である。

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アンジェリカ・パガニバン(Angelica Panganiban)

それまで年に1本程度だったレギュラー番組・ドラマの数も、2007年からは4本程度に増えている。アンジェリカは子役からセクシー・タレントへと路線転換に成功したアイドルなのだ。
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