フィリピン英会話ネット
2009年07月20日

ヤノ(YANO)

Yanoは1993年、フィリピン大学の学生だったドン・アバイ(Dong Abay)とエリック・ガンシオ(Eric Gancio)を中心に結成されたフィリピンのフォーク・パンクバンドだ。Yanoはシンプルで強いリズムに乗せて、政治的なメッセージ性の強い曲や、社会的な問題を歌うのが特徴だった。

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Yano :photo by kaibandavao

Yanoのデモテープはフィリピンを代表するオルタナティブ・シンガー、 ジョイ・アヤラ(Joey Ayala)の自宅スタジオで録音された。その中でEDSA革命を題材とした“Kumusta na”がブレイク。プロ活動へと繋がっていく。

YanoはMayrics、Club Dredd、70s Bistroを拠点としてライブ活動をしていた。この3つのライブハウスはどれもケソン市内にあり、E-headsRivermaya、それにParokya ni Edgarも出演する、まさにフィリピンバンド文化の発信地だった。

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Eric Gancio :photo by keith bacongco

94年、アルバム「Yano」を発表、爆発的に売れた。収録曲”Banal na Aso”は宗教の偽善に対する批判、”Trapo”は伝統的政治家への批判、”State U”はフィリピン大学への皮肉となっている。またアメリカへ移住してしまう彼女との別れを歌った”Paalam Sampagita”(97年「Tara」収録曲)や、叶わぬ片思いを歌った”Senti”などのラブソングも有名である。

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Dong Abay :photo by sancho papa

97年、ボーカルのドン(Dong)が病気療養のためバンドを去り、Yanoは解散。エリック(Eric)は故郷のミンダナオへ帰った。2002 年、5年間の休養を経て、ドン(Dong)はPanの名でバンド活動を再開するが、学業へ復帰するため、翌年活動停止。その後、ドン・アバイ(Dong Abay)はようやくフィリピン大学を卒業した。入学から18年目のことだった。

現在、エリック・ガンシオ(Eric Gancio)がYanoの名でミンダナオ島・ダバオを拠点としたバンド活動を再開している。

Yano: Banal na Aso


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2009年07月14日

リバーマヤ(Rivermaya)

Rivermaya(リバーマヤ)はE-headsYanoと共に90年代のフィリピンバンド文化を牽引したバンドである。

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Rivermaya: photo by mr36

Rivermayaの結成は93年で、リザ・ナクピル(Lizza Nakpil)とチト・ローニョ(Chito Rono)という2人のプロデゥーサーにより「作られた」面が強い。ちなみにChito Ronoはフィリピンで最も有名な映画監督だ。

Rivermayaのメンバーはバンブー(Francisco "Bamboo" Mañalac)がボーカルを、リコ・ブランコ(Rico Blanco)がキーボード(その後、ギター)をやっていた頃の構成が有名だ。代表曲は"Ulan"、 "214 (My Favorite Song)"、 "Himala"、 "KisapMata"、 "Hinahanap Hanap Kita"、 "You'll Be Safe Here"など数多く、E-headsよりもさらに軽く、きれいな曲が多い。中でも2005年に発表した“You’ll Be Safe Here”は絶大な人気を得て、Rivermayaはフィリピンの各賞を総なめにした。

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Rivermaya: photo by mr36

このバンドの特徴のひとつに、結成からこれまで、何度もバンドメンバーが入れ替わっていることがあげられる。それはまず93年の結成からファースト・アルバム「Rivermaya」(94年)のリリースまでにリコを残しての総入れ替えがあり、98年にはボーカルのバンブーが抜け、リコがボーカルとなった。そして2007年にはついに結成当初からのメンバーだったリコが抜け、新しいボーカルを迎えて現在に至る。つまり、Rivermayaにはこれまでにボーカルが4人もいたことになる。この間、ギターやベースも頻繁に入れ替わっている。バンドメンバーが入れ替わることは日本でも珍しくないが、フィリピンではバンドの顔であるボーカルが替わることさえも珍しくないのだ。

現在、バンブー(Bamboo)、リコ・ブランコ(Rico Blanco)ともにそれぞれが独立してバンドをつくり、Rivermaya時代に劣らない人気を得ている。そうした意味では、Rivermaya、Bamboo、Rico Blancoと聴ける音楽が3つに増えたと考えることも出来るかもしれない。

Rivermaya:214 (My Favorite Song)
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2009年07月10日

パロキャ・ニ・エドガー(Parokya ni Edgar)

多数のバンドが出演する野外コンサートでのこと。興奮が高まるにつれ、集まった聴衆の一部が、激しく身体をぶつけ合って暴れるモッシュを始めた。モッシュはエスカレートし、そのうち本当の乱闘に発展してしまった。演奏をやめ、主催者がマイクで静まるように呼びかけても収まりがつかない。その時、おもむろにステージの上に立ち、静かに右手を上げ、黙ってピースサインを示した男がいた。すると、乱闘していたグループは喧嘩を止め、それまでの騒ぎが嘘のように、会場が静まり返ったのだ。

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Chito Miranda of Parokya ni Edgar

この男こそ、Parokya ni Edgarのボーカル、チト・ミランダ(Chito Miranda)だった。

Parokya ni Edgarは90年代初頭のE-headsYano(ヤノ)、Rivermaya(リバマヤ)の3大人気バンドがつくりあげた新しいバンド文化の潮流に乗る形で96年に登場した。リードボーカルのアルフォンソ・“チト”・ミランダ(Alfonso “Chito” Miranda, Jr.)、ベースのブハウィ・“ブウィ”・メネセス(Buhawi “Buwi” Meneses )、リードギターのダリウス・ジェラルド・“ダリウケン”・セマニャ(Darius Gerard “Dariuken” Semaña)、 ギターのガブリエル・イグナチウス・“ガブ”・チーキー(Gabrielle Ignatius “Gab” Chee-Kee )、ドラムのフェルディナンド・“ディンディン”・モレノ(Ferdinand “Din Din” Moreno)、そしてバックアップボーカルを担当するフランシス・ビンセント・“ビンチ”・モンタナー(Francis Vincent “Vinci” Montaner) の6人で構成されたバンドである。Parokya ni Edgarはもともとアテネオ高校の同級生達で結成したバンドだが、当時のバンド文化のメッカ、Club Dreddでの演奏が注目され、プロデビューした。当初は世界的に有名な曲の歌詞を面白おかしく変えて歌うコミックバンドとして受け入れられていた感がある。

Matira Matibay
Parokya ni Edgar: Best Album 「Matira Matibay」

Parokya ni Edgarがパロディとして発表したのは次の曲である。どれもロックファンなら知っているような曲だ。
Trip from "Creep" by Radiohead
Alimango from "Animal" by Pearl Jam
The Crush (Bakit Ang Pangit Pangit Mo?) from The Clash's song "Should I Stay or Should I Go"
Papa Cologne from Lança Perfume by Rita Lee"
Picha Pie from "I Will Survive" by Cake (Originally by Gloria Gaynor)
Chikinini from "Banal Na Aso, Santong Kabayo" by Yano
Nakaw ang Wallet Ko from "Knockin' on Heaven's Door" by Guns N' Roses (originally by Bob Dylan)
The Ordertaker from "Chop Suey!" and "Toxicity" by System of a Down
Macho from "Macho Man" by Village People
Nakaka-inis from "The Promise" by When in Rome
Tange from "The Popeye Theme"
Name Fun from "The Name Game" by Shirley Ellis

Parokya ni Edgarのパロディのポリシーは徹底していて、99年にMTV Music Video Awardを受賞した自分たちの代表曲でもあるバラード”Harana”さえもパロディ化し、全く下品な曲にしてしまうほどである。

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Parokya ni Edgar at Live Concert

しかし、Parokya ni Edgarの凄さはパロディだけではない。もちろん、オリジナル曲の方が多いわけだし、発表する曲はそのどれもが絶大の人気を得ている。また、このバンド、当時活躍した他のバンドのほとんどはすでに解散してしまったか、メインボーカルが変わってしまう中、デビュー以来13年間、一度のメンバーチェンジもなく続いている。その間、ほぼ毎年オリジナルアルバムを発表し続け、人気に衰えが見られない。盛衰の激しいフィリピンバンドの中で、Parokya ni Edgarは最も長寿なバンドと言えるだろう。

普段は飄々としていて、コメディアンとしての資質も十分なチト・ミランダだが、ピースサインひとつで乱闘騒ぎを収めてしまうことで示された、そのカリスマ性は本物だ。

Parokya ni Edgar初期の代表曲 "Buloy"
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2009年06月30日

イレーサーヘッズ(Eraserheads:E-heads)

イレーサーヘッズ(Eraserheads:E-heads)はフィリピンですでに神格化されたポピュラー・ロック・バンドである。
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Ely Buendia: photo by jonasismo

1989年、当時フィリピン大学(UP)の学生だったエリー・ブエンディア(Ely Buendia:ボーカル、リズムギター)、レイモンド・マラシガン( Raimund Marasigan:ドラム)、ブディー・ザバラ( Buddy Zabala:ベース) そしてマルクス・アドロ(Marcus Adoro:リードギター)の4人で結成された。

E-headsは最初、大学やライブハウスで演奏していたが、瞬く間に学生の間で人気がでて、93年、ファーストアルバム「UltraElectroMagneticPop!」が大ヒット、フィリピンではそれまでにない30万枚という記録的な枚数を売り上げ、一気にフィリピンNo.1のスターダムへとのし上がった。収録曲「Pare Ko」には放送禁止用語も使われており、ラジオ放送が禁止されるなどの制限を受けたが、そのことが逆に話題にもなった。

E-headsは「フィリピンのビートルズ」とも称されるが、実際、曲調はビートルズの影響を強く受けている。「Fruit Cake」や「With a Smile」などはジョンレノンが生きていたなら作っていたんじゃないかと思われるような曲だ。E-headsの曲の多くはエリーにより作詞・作曲されており、その歌詞は言葉遊びとDouble Meaningが多用されたものだった。

E-headsのライブではTシャツにジーンズといったラフなスタイルで演奏することが多く、庶民にとっても遠くない存在だったのも特徴だ。そのため、CMソングに起用されるのもバーガー・マシーン(Burger Machine) やチーピー(Chippy)など、庶民的なものが多かった。ちなみにそのころ、ジョリビー(Jollibee)のCMには国民的二枚目俳優アガ・ムラックが、マクドナルドのCMには国民的女優シャロン・クネタがそれぞれ起用されていた。

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E-heads復活コンサート(MOA) photo by roxj

1997年には3rd アルバム「Cutterpillow」の収録曲Ang Huling El BinboがMTV Asia Viewer's Choice Awardを獲得。これはフィリピンのバンド初の受賞であり、快挙だった。

しかし、2002年、ボーカルのエリーが突然脱退。バンドは解体した。解散後はそれぞれのメンバーが別々にバンドを作り、または別バンドへ参加して音楽活動を続けている。2005年にはE-headsに影響を受けた、または尊敬するフィリピンの有名歌手、バンドによるE-headsのトリビュート・アルバム「Ultraelectromagneticjam!: The Music Of The Eraserheads」が作成されている。これに参加したのはキッチー・ナダル(Kitchie Nadal)、イマーゴ( Imago)、オレンジ・アンド・レモンズ( Orange and Lemons)、サウスボーダー( South Border)、ブラウンマン・リバイバル(Brownman Revival)、シュガーフリー(Sugarfree)、エムワイエムピー(MYMP)、スポンジ・コーラ(Sponge Cola)シックス・サイクル・マインド(6Cycle Mind)、フランシス・エム(Francis M.)、リコ・ジェー・プノ(Rico J. Puno)そしてラディカル・サゴ・プロジェクト(Radioactive Sago Project)など、第一線の人気バンドである。

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photo by charisseyorke

2008年8月、一夜限りのE-heads再結成コンサートがFort Bonifacioで開催されたものの、エリーが心臓発作で倒れ、途中で中止となった。そこで2009年には再び「最後の」再結成コンサートが開かれ、10万人のファンがモール・オブ・アジアの野外会場を埋めた。コンサートの終わりに、エリーはE-headsの象徴であり、5thアルバム「Sticker Happy」のジャケットにも使われたピアノにガソリンをかけて焼いてしまうという行動に出た。これで本当に最後という強い意思表示だったと言える。

E-headsはフィリピンのバンド文化およびOPM(Original Philipino Music)を変えた存在である。

MTV Award 受賞曲 Ang Huling El Bimbo


注:2009年にはマクドナルドのCM曲にE-headsの曲が採用された。これはE-headsが神格化された現れである。
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2009年06月26日

キッチー・ナダル(Kitchie Nadal)

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キッチーナダル photo from Wikipedia

キッチー・ナダル(Kitchie Nadal) である。

2004年に「Kitchie Nadal」という名のファースト・アルバムを発表し、爆発的にヒットした。アルバムの中には代表曲Same Ground、Blongのほか、数々の賞を受賞したHuwag Na Huwag Mong Sasabihinといった曲も含まれ、この一枚でKitchieの凄さが伝わる。

ほとんどの曲がKitchie本人による作詞・作曲である上、少しハスキーで印象的な歌いぶり。歌唱力は高い。

そんな、突然有名になったかの彼女だが、もともとはMojoflyというそれなりに有名なロックバンドのリード・ボーカルだった。Kitchieはフィリピンの名門私立大学デラサールで教育学と心理学の2つの学位を取得した才女でもあり、音楽活動は在学時代から平行して行っていた。

Kitchie Nadalの曲は歌詞が非常に練られており、フィリピンによくある「あなたが好きです、愛しています」みたいな単純なものではない。もちろん、ラブソングが中心なのだが、Kitchieの単語使い、言葉遣いの深さは比類するものがないレベルである。

2008年には待ちに待った彼女の2枚目のアルバム「Love Letter」が発売された。

Kitchie Nadal: Same Ground
posted by philculture at 06:00 | Comment(0) | 音楽・バンド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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